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Introduction/星の王子さまとは

『星の王子さま』とは

概要

物語

執筆の背景

 本当に大切なもの=l’essentiel 

 心でなきゃ、ちゃんと見ることはできない。本当に大切なものは、目に見えない。(第二十一章)

 『星の王子さま』は軽やかな語り口と洗練されたユーモア、子ども心をとらえる数々の不思議、そしてかわいらしい挿絵に彩られています。それらも大きな魅力ではありますが、この作品がこれほど長く、そして広く愛されているのは、そこに込められた「l’essentiel=本当に大切なもの」についての著者のメッセージが普遍的な価値を持つからに他ならないでしょう。

 「本当に大切なもの」を描き出すのに、著者はまずそれを見失い、別の何かに心を捉われてしまった人々=「おとな」の愚かしさを、ユーモアたっぷりに、しかし痛烈に描きます。別の何かとは、数字、体面、他者からの称賛、逃避、所有、指示に従うだけの仕事、体験を伴わない知識などです。戯画化された「おとな」たちの姿に私たちは思わず笑ってしまいますが、その後にふと気が付くのです。自分はこうしたものに価値を置いていないのだろうか、いや、むしろこれらこそ自分が普段の生活で気にかけていることそのものではないか、と。

 著者はこうしたものにすっかり捉われている「おとな」には容赦がありませんが、一方で「本当に大切なもの」を見失うことは誰にでもあることも示しています。自分の中の「こども」に蓋をして暮らすうちそれを失いつつあった飛行士は、飛行機の修理の成否が生死を分かつ状況を前に、探し求めてきた心からの友たりうる王子さまが語る言葉に真剣に向き合うことができません。その王子さまですら、世界に一つだけと思っていた自分の花がありふれたものであることを知った時、花が無価値だと考えて泣きさえしたのです。

 では「ほんとうに大切なもの」を見失ってしまったとき、人はどうやってそれを取り戻すことができるのでしょう。そもそも、目に見えない「本当に大切なもの」とは何なのでしょう。著者は他の作品、『人間の土地』や『戦う操縦士』では繰り返し訴えているその答えを、この作品ではあえて、語り手の言葉として明言することはしていません。ですが代わりに、その手がかりとなる言葉をたくさんちりばめています。そこには、読む人がそれぞれ、その人なりの「本当に大切なこと」を見出せるようにという願いが込められているようです。こうした言葉こそが、『星の王子さま』の最大の魅力なのではないでしょうか。

 人間はもう、何かを知るために時間を使ったりしない。なんでも出来合いのものを店で買ってくる。でも友だちは店には売ってない。だから人間はもう友だちが持てないんだ。(第二十一章)

 あんたのバラをかけがえのないものにしたのは、あんたがバラのために費やした時間なんだ。(第二十一章)

 誰かが何百万の星のどれか一つに咲く、たった一輪の花を愛してさえいれば、その人は星空を見上げて幸せになれる。(第七章)

 おいらはパンを食べない。麦なんて用なしだ。麦畑を見たってなんとも思わない。さびしいもんさ! でもあんたの髪は金色だ。だからあんたがおいらを飼いならしてくれたら、素晴らしいことになる! 金色の麦畑を見るたび、おいらはあんたを思い出す。麦畑を吹く風の音まで大好きになる…(第二十一章)

 その水は、ただかわきを満たすだけのものじゃなかった。二人で星空の下を歩き、滑車が歌うのを聞き、ぼくがこの腕で引きあげた水だ。それはまさに、心にもいい水だった。プレゼントみたいに。そうだ、小さい頃、ぼくがもらったクリスマスプレゼントがあんなにキラキラと輝いていたのは、クリスマスツリーの灯りや、真夜中のミサの音楽や、みんなの温かい笑顔があったからこそだったんだ。(第二十五章)

象徴性・寓意性

 この作品を通じて繰り返し語られることの一つに、目に見えているのはものの表層に過ぎず、本質は隠されているということがあります。それを念頭に置いて読む読者は、この本は一見子ども向けのお話に見えるが本当はそうではないのかもしれず、登場する事物、人物も見える通りの存在ではないのかもしれないと考えざるを得ません。

 本作が出版されて以来今日まで、大蛇ボア、象、バオバブ、バラ、小惑星の「おとな」たち、ヘビ、キツネ、井戸・・・それぞれを何かの暗喩と考える解釈が星の数ほど生まれてきました。前述した執筆の背景と、サン=テグジュペリが「行動派」の作家と呼ばれ、常に自らの体験をもとに作品を書いてきたこととを考え合わせれば、これらをことごとく戦争に関することの暗喩(例えば放置したために星を埋め尽くしてしまう三本のバオバブの樹は、枢軸三国を表しているなど)とする解釈があることも、無理なこととは言えないでしょう。
 
 しかし著者は、明らかに象徴的・寓意的なものであっても、あくまでバオバブはバオバブとして、ヘビはヘビとして表層のみを描いています。それによって読者は、人それぞれに、あるいは読む時々で、自由で多様な読み方をすることができるのです。そのことも『星の王子さま』が愛され続ける理由の一つと言えるでしょう。

王子さまとサン=テグジュペリ

 登場する人物・事物を暗喩と見る解釈で最も一般的なのが、王子さまが幼少期のサン=テグジュペリ自身(あるいは語り手の飛行士自身)とする見方です。実際、子ども時代の著者は金髪でしたし、答えを得るまで決してあきらめない性質は、そのころから変わらない彼の特徴の一つと言われています。

 王子さまとサン=テグジュペリの類似性はそれにとどまりません。著者は本作を亡命先のアメリカで書きましたが、執筆後、祖国とそこに暮らす大切な人々への責任を果たすため、命がけの偵察飛行任務に復帰しました。まるで愛するものを残して故郷を離れるが、旅先で自らの責任を自覚し、それを果たすために命を賭して帰還した王子さまの行動を自らなぞるように。

 さらに、不思議な符号があります。王子さまは星へと帰るのに、毒ヘビに自分をかませるという方法をとりました。体が重すぎて持っていけないというのがその理由です。しかしその翌朝、王子さまの体はどこにも見当たりませんでした。サン=テグジュペリは1944年に偵察任務中に消息を絶ち、その行方は長らく不明のままでした。50余年後の1998年、トロール船の網の中から彼の認識票ブレスレットが発見され、これをきっかけにマルセイユ沖の捜索が始まります。2年後、ついに海中で彼の乗機と思われる残骸が発見され、2003年に引き揚げられて彼の乗機と特定されました。しかし彼の遺体は、今もって発見されていないのです。